50歳を超えた今も、毎日欠かさずトレーニングをして球場に立っているらしい。
今は選手を引退したので、コーチとしてだが。
しかも、シアトルマリナーズのコーチだ。
世界に認められた日本人といっていいだろう。
そのイチローが言っていた言葉で、気になったものがあった。
それは、「感性を大事にする」ということ。
近年のメジャーリーグでは、データが非常に重要視されている。
様々なデータを取り、データに基づき戦略を作り、データに基づき選手を管理している。
データ野球というやつだ。
確かにデータは大事だと思う。
あてずっぽうに戦略を立てるよりは、確率が上がるだろう。
DXの重要性が叫ばれる昨今においては、自然な流れだと思う。
データ分析をした方が勝率が当たるのであれば、みんなそうするだろう。
だが、このような流れにイチローは警鐘を鳴らしていた。
データ至上主義になると、人間の感性がおろそかになると。
本当に大事なのは、データではなく、人間の感性なのだと。
この言葉に、確かにそうだなと胸に刺さるものがあった。
今はビジネスにおいてもDXは必須の流れとなっている。
企業はDXを進めなければ競争に取り残されると焦っている。
私も最近はAI関連の記事ばかり読み、AIをどのようにビジネスに活用できるかを考えることが増えた。
生成AIで遊んでいると楽しいし、いろんなことができるので。
しかし、AIと人間では、そもそもの世界の成り立ちが違う。
AIはデータが土台の世界に存在している。
学習したデータがすべてであり、学習していないデータについては何もわからない。
学習したデータの世界であれば人間よりも高いパフォーマンスを出せるかもしれないが、学習していないデータの世界ではゼロである。
今後どんどんAIの性能が高くなり、人間の能力を超えるかもしれないといわれているが、そもそもの世界の出発点はデータである。
データから派生した世界で生きているのである。
これに対し、人間の世界は感性によるものである。
五感で感じものを人の脳が認識し、世界を創っている。
人間は感性を土台にした世界に生きているのである。
もちろん人間もデータを扱うが、感性の世界の上にデータがあるのである。
これは、データを世界の土台としているAIとは根本的に異なる。
最近のAIは感性も学ぶことができるようだが、あくまでデータの世界の上に感性が存在しているのである。
人間の世界とは逆なのである。
人間がデータ至上主義になってしまい、感性がどんどん廃れていってしまえば、人間らしさがどんどん失われていく。
イチローはここに警鐘を鳴らしている。
イチローのいうように、人間の特性は感性である。
そこをAIに奪われてはいけない。
近年はみんながAIに飛びつき、AIより優れた人間の持ち味である感性を自ら放棄しにいっているようにも見える。
AIに自らの世界を明け渡しているようなものである。
これは危機的な状況と言っていいと思う。
野球に限らず、社会全般について言えることだと思う。
人間の仕事がAIに奪われるというが、確かにそれはあると思う。
もう少し正確にいうと、文系の仕事がエンジニアに奪われているのである。
これまでは文系の人間がやっていた仕事が、AIに置き換えられている。
つまり、エンジニアの仕事になっているのである。
こう考えると、文系の人間はうかうかしていられない。
簡単にAIに仕事を明け渡している場合ではないのである。
文系の仕事は、ある意味感性の仕事といえると思う。
その文系の仕事がAIに置き換えられるということは、感性がデータに置き換えられていることを意味する。
今後の社会にとって、どちらがいいかはわからない。
データ社会の方が生産性が高く、人々は快適に暮らせるのかもしれない。
だが、それとともに感性の世界は縮小するだろう。
味気ない世界が待っているかもしれない。
データ社会だからこそ、感性の価値は高くなると思う。
何でもデータ至上主義に陥らず、感性で物事を考えられる人が重宝されるかもしれない。
何でもAIに任せず、自分の頭で考えて行動できる人が評価されるかもしれない。
どちらが正解かは誰にもわからない。
だが、イチローの言うように、データ至上主義に陥らず、感性を大事にすることが重要なのは間違いないだろう。
データ社会を生きる人間として、心に留めておきたい。
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